ドンド子日記

23区内住み、共働き世帯の初めての子どもに関する雑記

⑨臨月、妊娠中作ったもの、計画分娩日決定(妊娠36週~38週)

妊娠36週~38週(1月1日から現在)

 

◆臨月

年末年始はまったり過ごして、年明けから臨月。この辺りが一番ストレスなく、やりたいことを進められました。勉強も、読書も、いろいろな準備(制作)も、妊娠糖尿病との付き合い方がわかってきたこともあり、どんどん進められました。

 

年明けからTwitter上の方がどんどん出産に向かっていき、いよいよ自分に迫っているんだという感じがしました。

 

入院バッグ、陣痛バッグももう一回チェックし準備は万端です。

バッグの中身。入院後振り返りをして載せられたらと思います。

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◆妊娠中作ったもの

子どもに残したいなと思いこんなものを作りました。

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◆計画分娩日決定

計画無痛(和痛)分娩希望で転院したため、これで進めたいという希望はずっと伝えていました。

36wの診察で血液検査を行い、特に問題がなかったため、37週の診察で日にちを決めることに。NSTの結果は赤ちゃん元気。張りはなし。

 

赤ちゃんも降りてきてるし、柔らかいし、いつ生まれてきてもいいねということで、39週1日の日付から入院します。

 

⑧血糖値コントロール、産院へ(妊娠31週~35週)

妊娠31週頃~35週(11月26日頃~12月30日頃)

 

◆血糖値コントロール

妊娠糖尿病にはぜったいなりたくなかった私。

もともと妊娠前は「食べることと飲むこと」が楽しみ。妊娠中でも「食べる」という楽しみはとっておきたかったからです。

 

また、コロナの影響もあり外食の機会が減っていたので、今後コロナが落ち着いてきたら行きたいという願望もありました。

 

だからこそ、食事に気を付けて、運動もしていたのに、、、なりたくなかったものになってしまったショックが大きかったです。

 

切迫は引き続きで旅行も運動も避けたほうが良い、仕事も休みに入って達成感、成長感自己有能感なし、妊娠糖尿病で好きに食べる楽しみもなし。子どもの成長しか楽しみがないな~とへこみました。

 

また、血糖値のコントロールがうまくいかないこともどんどんストレスになっていきます。

 

私の場合、妊娠糖尿病確定したのち、クリニックの強い勧めで、近所の内科を紹介され、受診することになりました。常勤の内分泌系の医師はおらず、非常勤の方がいるという形。今考えると選択を間違ったなと思います。

 

元々、クリニックで産まず、聖母病院で産むことになってからクリニックの先生のアタリが厳しくなっていました。

 

「あそこは総合病院だから心配だよね」という趣旨のことを9月半ばの診察以降何回も繰り返し言われていた状態でした。

 

妊娠糖尿病確定時、内科を紹介されたときも

「あそこ(産院)の内科はお年寄りが多く、コロナの媒介になるかもしれないし、遠いから近場のここに通ったほうが良い。すぐいっちゃって」

「甘いもの控えて、分食してみてください」(ただし甘いものはもともと多くとっていないし、分食が何たるか分からない)

 

ひっかかるところがあったものの、私としては、10月17日の検査で妊娠糖尿病の値が出ていて、1か月経っており、お腹の子のことを考えると、まずその内科に早くかかるほうが良いと思ってしまいました。

 

その後糖尿病・内分泌系の先生がいる曜日に通院するのですが、その内科では以下のことができないことが判明。

インスリンの注射

・管理栄養士による栄養指導

 

内分泌の先生は悪い先生ではなく、できる限りの情報例えば分食の概要等は教えてくれるのですが、試してみても血糖値はうまくできず。血糖値がクリアできる食事では、とにかくお腹が空いて、うまくいかなさと相まってイライラしてしまうことが多くありました。

 

結果内分泌の先生の判断で、インスリン等の治療を考えたほうがいいということになり、産院の内科に通うことになりました。

 

妊娠糖尿病は一度なったら、基本的には胎盤排出するまでよくはなりません。長期戦です。クリニックとは別の内科にかかる場合はあると思いますが、妊娠糖尿病に慣れている病院選びををしたほうがいいです。

 

 

◆産院へ

内科の件もあり、早めに産科も産院である聖母病院にかかり始めることになりました。32週、12月初め頃です。

 

驚いたことは、血糖値を測る機械を再度買わないといけないこと。またそれが保険適用外であること。近所の内科の時には保険適用で3000円ぐらいだったものが、16,000円ぐらいでショックでした。

 

ありがたかったことは、妊娠糖尿病に対する指導が具体的なこと。

血糖値を決められたタイミングで測り、食事内容をノートに記入していくのですがこのノートに、1回の分食でどれぐらいの炭水化物を取ればいいのか?食事の全体の糖質量の目安等が書いてあります。

 

12月から、この値に沿って食べるようになり指針があったことで「何をどうしたらよいか分からない」という不安は大分なくなりました。

 

ただ、これ通りにやっても、血糖値が規定よりも超えてしまうことが続き、糖質量をへらしてなんとか120を超えないようにするようになりました。物足りなさや空腹からのイライラがつのり、どうにかしたい気持ちが大きく早くインスリンしたくてしょうがなかったです。

 

結局33週からインスリンを開始。以下のように打ってました。

33週 夕方4単位のみ

34週 朝4単位、昼なし、夕方6単位

 

 

普通妊娠が進むにつれて血糖値は上がり始めるのですがこの後、35週、36週あたりから分食をすれば血糖値が上がりづらくなりその後はインスリンを打ってません。

 

インスリンなんていやだ!という人も多いかもしれませんが私としては、食事をどんなに頑張っても血糖値変化なし、食べる楽しみなし、周りが食事を楽しむのが羨ましくて仕方ない。どうしたら良いか分からずストレス、、、という状況を打破できるものでした。針は細く、血糖値を測る針よりも痛くないのも大きかったです。

 

また、産院の内科のインスリンを使うスタイルもあってました。自己管理できる人にはさせるというものです。

 

ちょうど年末年始に被っていたのですが、主治医から提案されたのは「同じ時間帯で3日連続で、血糖値120を超えたらインスリンの単位を最大10単位まで、2単位ずつ上げてもよい」というもの。

 

私は単位数を増やすことにはなりませんでしたが、病院に相談できない年末年始に、対処できる方法を授けられるというのはとても精神安定につながりました。

 

◆この頃の体調、胎児の様子

31週(12月初め)1810g 子宮口は閉じているがちょい柔らかめ、骨盤に頭を突っ込みつつあるので無理をしないように言われる。

33週(12月半ば)2076g 頭突っ込みつつある件は解消、張りはしてるが週数からすると問題ないレベル。

 

何を食べるかということばかり考えいた12月でした。

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⑦妊娠糖尿病確定、休職(妊娠24週~30週)

妊娠24週~30週(10月8日頃~11月25日頃)

 

◆休職

10月初めから時短勤務をしていたはずが、あまりうまく時短勤務ができていなかった私。

 

25週10月半ばの診察では子宮頚管は伸びているものの、子宮口がやわらかめなのは引き続きであり、胎児も大きくなっていくタイミングだから引き続きの投薬とゆったりとした生活をという指示でした。

 

良くはなっているようだったので、10月後半も同じような働き方を続けてしまっていました。。

仕事の引継ぎのスケジュールが決まったことで、10月が私が組織を見る最後のタイミングだとわかっていたので、良い形で終わりたい・・・!という気持ちが大きく、張りというものもわからなくてつい。

 

結局10月は良い形で締めくくることができ、ほっとしました。営業なので、達成して終わりたかった、その一言に尽きます。

 

10月30日で営業日が締まり、翌日の27週10月31日の診察で子宮口やわらかく、開いており、胎児がいる部屋に触れてしまいそうということでなるべく早くのタイミングから休職し、そのまま産休に入るようにという指示がでました。

 

もともと本格的な引継ぎは11月から1か月をかける予定でしたが、1週間で引継ぎをすることに。後任の方や、周りの方に迷惑をかけ、11月2週目から休みに入りました。

 

私の気持ちとしては、まだ張っている、疲れているということが仕事をしながらだと自覚できなかったため、突然の休みにびっくりしてしまいました。

 

せめてこの休職をまずは赤ちゃんのために、そしてせっかくなら少しだけ私のために使いたいなと思っていました。決めたことは以下。

 

・とにかく休んで、切迫を悪化させない。正期産までお腹の中でいてくれるように子のことを一番優先して考える。

 

・疲れた、しんどい、とか体の発するメッセージに敏感になって疲れる前に休む。

 

・赤ちゃんを迎える準備を進める。里帰りなし、里も来ないのでどうやって夫と二人で生活を回すのか?考えておく。一番楽であろう体制を作ってみる。

 

・赤ちゃんのためのプレゼントを作る(第一子で、こういう風に時間ができた時にしかできないと思ったので。結局ブランケット、帽子、ミトン、シューズ等を編みました)

 

・育休明けに使える人材になりたいので、ビジネス会計や、英語について産休育休を使って勉強する。(まったく会計周りに手出しをしていなかったので当時は1月初めに簿記3級を取り、その後ビジネス会計の資格とりたいな~と思ってました。結局体のしんどさとコロナで延期。簿記は産後取ろうと思っています。)

 

・この機会に本を読む。積読を減らす。

(これは思ったより進みませんでした笑)

 

◆妊娠糖尿病確定診断

 25週10月半ばの検診で尿糖検査にひっかかってしまい、27週10月末に糖負荷検査することになりました。こんな風なサイダーを飲み、食前、1時間後、2時間後の血糖値を図る検査です。

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当時のクリニックで検査を受けたため、結果が出るまで結局のところ1か月。

 

その間、どうしたらいいか分からないが、尿糖が出ていることは確実なので対処しようと思い、糖質制限の食事をしていました。

 

ただ、もともとそこまで悪い食生活ではなかったため、対処の仕方がわからず。

もやもやした1か月間でした。

 

11月半ばに結果が出て、私の数値は食前102、食後1時間204、食後2時間で141。妊娠糖尿病確定となり、クリニック+近くの内科に通い始めるようになりました。

 

◆この頃の体調と対峙の様子

・朝5時台に起きることが多く、そうするとお腹がすいてしょうがなかった。

・25週 体重920g 逆子治る。 

・27週 体重1186g 女児確定。

この辺りまで大きめな体重ですが、妊娠糖尿病のため、そうなってしまっていたということでした・・・

 

妊娠糖尿病前に結婚3周年をお祝いした食事。

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⑥切迫早産診断、時短勤務?(妊娠21週~妊娠23週)

妊娠21週〜23週(9月17日~10月16日頃)

 

◆切迫早産

産院変更のために、別の産院の初診にいきつつも、

産院にはセミオープンシステム(34週までかかりつけ医に通う仕組み)があることもあり、

通常の検診は今までのクリニックに通っていました。

 

21週、今までのクリニックにかかったところ、 「子宮頸管が短めだから張ったら休んで」と言われました。切迫早産けど正直つわりも楽で、特にトラブルがなかった私にはじめてのトラブルでした。

 

当時在宅勤務のデスクワークで運動量は少ない状態、ただ同じ姿勢でいすぎても負担らしく、1時間に一度は休んでストレッチする、普段ゆっくり歩くように指導を受けました。

 

 面白かったのは、助産師さんに「スタスタ歩きすぎ!もっとゆっくり歩いて。あと電車とか乗り遅れそうになって急ぐのもダメ!」と注意されたこと。

え??私の行動全部モロばれしてる??そう思わざるを得ない指摘でした。

 

ちょうどこの頃9月後半にさしかかり、GOTOキャンペーンが東京も始まりそうな頃。いよいよ安定期ということもあり、最後の夫婦の旅行に行ってみたくてしょうがなかったです。

 

夫はコロナの心配故、あまり乗り気ではなかったように思いますが、できれば出産前二人での思い出作りをしたかった。だから、できれば少し遠出の金沢・日光とかでゆったりする旅をしたいなと思って調べていました。

 

ただ、切迫傾向があったため2週間後の検診となり、切迫早産へ。は引き続き子宮頚管は短く、子宮口週数にしてはやわらかめ。NSTの結果張りも定期的にあり。リトドリンの内服薬と漢方薬(当帰芍薬散)を飲むことになりました。

 

正直この頃、お腹の張りというものがどういうものか全くわかっていませんでした。仕事で集中していると体の感覚があまりなくなるということもあり、

張ったら休むといわれてもよくわからず、在宅勤務中にたまにストレッチするぐらい。

 

在宅勤務って、休みどころがわからない。妊婦だけど昼に10分休憩とって8時~22時まパソコンと電話の前で集中する。こんな生活を続けていました。

 

薬飲んでもそんな生活だと、難しく。23週の検診では時短勤務指示がでることになりました。この頃、まだ旅行の夢は消えてなく、国内少し遠出旅行は無理にしても11月頃に伊豆や箱根等近場にいけないかな・・・と思っていました。

 

◆時短勤務

23週10月初めの診察では、状況がよくなっていないということで、時短勤務指示の母健カードを出してもらいました。

 

それを出したところ、正直あまり動いていないように見えた後任が決まる、課内へいつどのように伝えるか?等のスケジュールが決定でき、安心できました。

 

時短勤務、ということでしたが在宅勤務しながら時短勤務は正直難しかったです。管理監督者扱い、上司の理解、勧めもあり、日中体調が悪い時、張っている感じがある時に休むということを、自由にするということはできましたが、労働時間を短くはできませんでした。

 

在宅勤務であったこと、妊娠の件を周りの人に伝えてられなかったことから、何か用事があれば連絡が私にかかる。

 

その上の上司は一時的に兼任体制を敷いていて忙しいこともあったので、私が判断する、対応すべきものはしないといけないというプレッシャーもあり、結局のところスマートフォンやPCに噛り付く時間は変わらない時短勤務でした。

この頃はたまに甘いもの食べるのが楽しみでした。

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 ◆この頃の体調、進捗について

・21週 517g 指しゃぶりをしている様子がかわいい。

・23週 690g 体重順で胎児がならぶとすると後ろから数えたほうが早いと言われる。(のちにその原因がわかります。)

⑤男女判定、お宮参り(妊娠17週~妊娠20週)

妊娠17週~妊娠20週(8月19日あたり~9月16日あたり)

 

前回の産院選びのエントリと微妙に時期がかぶっていますが分けて記載します。

 

◆男女判定※時期がずれますが・・・

妊娠してから知って面白かったことの中にR先生の存在があります。

 

R先生とは北海道の産婦人科の医師で、メールによるエコー画像・動画から早期に男女判定をしてくれるという方です。

 

大体の人の性別がわかるのが妊娠7か月(つまり27週)あたり。R先生であれば11週~13週ぐらいのエコー写真・動画からわかるというもの。

 

静止画判定なら1,000円、動画判定なら3,000円を指定の口座に振り込めば、男女が確定するまで判定していただけます。

 

噂を聞いて、物好きな私が調べてみたところTwitter上では30件程度サンプルのうち、、R先生の完全確定判断から性別が覆っていたのはなく、7割女児で男子のパターンが3件ぐらいあっただけ。

 

ものすごい命中率ですよね・・・また、メールを送った時の返信に、「完全確定、確認不要と返信した後に再判定依頼で覆った場合は返金します」と書かれていてびっくり。忙しい中やってくれるだけでありがたいのにすごい心意気です。

 

興味本位で私も、11wと、13wの動画を14週あたりに送付。8割以上は女児と判定するといただき、15wの動画を送付し、送付から30分で返信をもらい「女児完全確定」ということでした。

 

その後、実際エコーでは男女の区別があまり見えず。胡坐をかいていたり、へその緒を股に挟んでいたり・・・結局病院で性別が確定できたのは27週になってから。ぜひ、性別が知りたい方はR先生ためしてみるのおすすめです。

 

◆お宮参り

安定期にはいってからの戌の日にいくといいとされるお宮参り。

 

我が家では大宮八幡宮に参拝しました。コロナのこともあり、出かけるのは久々でいい気分転換にもなりました。大宮八幡宮は都内で3番目に大きい境内を持つそう。緑豊かで気持ちの良い空間です。

 

大宮八幡宮は御祭神が親子三柱ということで、夫婦円満、安産、子育てのご利益があるそうです。

神功皇后(母)が妊娠中、うまれそうなときに戦いのため大陸に渡る必要があり、石でお腹を冷やし出陣。戦いを治めてから、無事国内に戻り、子(メインで祭られている応神天皇)産んだので、15か月腹の中にいたエピソードがあるみたいです。

強い母と子って感じのかっこいい由来を気に入りました。

ohmiya-hachimangu.or.jp

 

祈祷を受けて貰ったものと、安産守りの絵馬です。

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お守りも2個はいっていて、こう言っちゃ変ですが、お得感がありました。水天宮ほどメジャーではありませんが、都内の方おすすめです。

 

◆この頃の体調について

・19週 286g。エコーで手をグーに握ってうにうに動く姿が見られてかわいい。逆子。この頃胎動を感じはじめる。

・元気、食べることが楽しみ。

・おなかのふくらみがわかるようになってくる。くびれているデザインは無理。妊娠バレを20週後半ぐらいからするように。

・しゃっくりを感じはじめる。9月17日はしゃっくりを始めて感じた記念日です。

 

④ぎりぎりの産院選び(妊娠13週~16週)

妊娠13週~17週(7月23日~8月19日あたり)

 

◆ギリギリの産院選び

人気の産院は、すぐ出産予約しないと埋まってしまう、大体9週、10週ぐらいにはしないとだめ。 そんな知識だけはあったものの、産院選びはぐずぐずしていました。論点は2つ。

 

1、里帰り出産するか、しないか。

2、東京で産むとして今のクリニックで産むか産まないか

3、どこで産むか。

 

1、里帰り出産するか、しないか

里帰りしない。という選択にすぐなりました。以下がその理由です。

・夫が貴重な新生児期一緒に乗り切りたいといってくれたこと。

 

・地元の産院を調べたところ、廃業してしまったところがあるなど選択肢が極端に少ないこと。トラブルがあった時に実家近くに総合病院はないこと。

(実際に重めのトラブルがあった同級生が、地元から40kmの病院にいくしかなかった事例を聞いてやめました。道路の便は良いため、車で地元40分程度ですが、夫が東京から電車来るとすると少なく見積もっても3時間はかかる等特殊な場所柄でした。)

 

・地元に戻ったら車で両親に送ってもらう以外移動手段がないこと。またデリバリーサービスも使いずらい場所であること。

一方で東京の自宅はそのあたりのサービスを使い倒せます。

母親に産後東京に来てもらうのでもいいなと思い、まずは東京で産むことに。

 

2、東京で産むとして最初からかかっているクリニックで産むか産まないか

こちらについては最初直感で決めたことを、覆すことになりました。直感で決めたこととしては、最初からかかっているクリニックで産むこと。

 

・とにかく通いやすい。ゆっくりあるいて徒歩15分

・先生穏やか、助産師さんもベテランが多く安心できる。

・個人院だからこそ、毎回妊娠の経過も他の産院に比べて丁寧におしえてくれ説明が丁寧。エコー動画も毎回撮ってくれる。(その分高額であったことは後に気づきます。かかったお金をまとめた記事記載します。)

 

ただ最初からひっかかっていたのは、とにかく自然なお産押しであること。妊娠初期はこのまま成長してくれるなら産むのは頑張る!と意気込んでましたが、中期差し掛かるぐらいで怖くなってきて無痛・和痛分娩したくなってきました。その話を助産師にしたところ、「え?!そんなに痛みに弱いの?」と言われたことに少し引っかかっていました。

 

無痛がいいかも?!と思い始めて情報収集を遅ればせながら開始。やっぱりこのクリニックで産もうと決心、でもやっぱり無痛したい、行ったり来たりきてしまいました。

 

3、どこで産むのか

結局20週ぐらいで無痛・和痛分娩で産みたいと心が決まり、そこから産める産院の情報収集。評判の良い近いところは大体既に埋まっていたものの、いくつかまだ受け入れができる近めの産院があり、内容を比較しました。

 

当時、成城マタニティクリニック、東京マザーズクリニック、聖母病院が無痛・和痛分娩が出来そうで、これからの受け入れの可能性があったため、通っていた産院と比較して何を一番大事にしたいか、改めて考えて産院を選びました。

docs.google.com

 

 

結果決めたのは、聖母病院。無痛ではなく、和痛分娩の医院ですがコロナで子育てをスタートする中で、助産師さんによる綿密な指導があること、小児科併設であること、値段で決めました。

 

◆この頃の体調・妊娠の進捗について

・13週CRL 72.8mm 26g 人間らしい形がわかりやすく。画面の中で動いていることがわかる。

・15wでCRL96.8mm?79g エコーの画面では必ず動いてくれる。

・とにかく体が火照る日々でした。胎盤ができるまではこの兆候が続くということでしたが、暑い夏だったということもあり夏中暑かった記憶があります。

・この頃から便秘との付き合いが始まる。繊維質なものを食べる、このあたりを管理したくて「あすけん」という栄養管理アプリを始めることに。

・体がバキバキになる。背中が凝る、だるいことが多く、運動をはじめたり、指圧ボールを買ったりする。

 

 

③妊娠と仕事、予定日決定(妊娠8週~12週)

妊娠8週~12週(6月18日〜7月22日あたり)

 

◆妊娠と仕事

妊娠の場合、つわり等で差支えなければ、心拍確認後に上長に妊娠の旨伝えると思いますが、私の場合陽性、胎嚢確認、心拍確認前のところで上長から連絡が・・・

 

「来月から見てもらうメンバー4名増えるから」

 

当時管理職として10数名のマネージメントをしている中、いきなりのメンバー追加です。

 

その当日が組織変更の事務手続き的なものの締め切り日か一日前。決定事項として私に下してきていること、状況としてもノーという選択肢がないことはよくわかりました。また、追加してもらえるのはありがたいこと。

 

体がつらすぎるならその場で断ったかもですが、騙した騙し働けたのでそういう気にならず。

 

この場でそのまま妊娠を伝えるか迷いましたが、先のエントリーの通り茶おり等で心配だったため、心拍確認後伝えることにしました。

 

ただ不安はものすごく大きくて。

そのメンバーが担当する領域は、私の知識が浅い領域(重要度は高いが、その前の担当領域としては少し優先順位を下げてもよいと思っていたところ。ここを触れないといけないってどうしよう・・・でもいつか触れないといけないのはわかっていた・・・そんな領域でした。)

 

結局のところ、私の専門性はさほど高まらないままメンバーのがんばりでどうにかなったのですが、上司がなぜあの領域をあの時の私に任せたのか?腹くくってやれよというメッセージだったのだと思います。

 

◆妊娠と仕事(管理職の妊娠の受け止め方について)

ここまではいい話なんですが、その後そのアサインをした上司の勤怠が怪しくなってきました。体調不良です。リモートワーク中のため、上司が勤務可能な状況か?そうでないのか?相談できるのか?出来ないのか?よくわからない日々が続きました。

 

これが結構精神的・肉体的にはつらかったので反面教師にしたいなと思っています。

 

ただでさえ、妊娠の体調の悪さって病気じゃない、自分のせいって病気よりも言い出しにくい。(同じぐらい辛いのに)流産の可能性もあるし、いろんな方がいるので、伝えるべき時まで高くて周りにバレたくない。

 

だからせめて、初期からその情報を受け取った人は受け止めバッチリな体制であることを、示し続けなきゃダメですね。実はつらいんですって、その人にしか言えないことが多いからです。

 

私の場合上司の体調不良でもう致し方のないことだったし、私はまだそこまで体調が悪くなかったので、パンクしませんでしたがとにかくその姿勢を示すことが大事だと痛感しました。

 

Twitterをしていて驚いたことは、仕事と妊娠が両立できないことが結構起こっていること。

 

少子化なのにマタハラってどういうこと?今どきあるの?と思ってましたが、程度は様々ですが、結構起こってました。

 

特に管理職の方、逃げ恥新春スペシャルでもあった通り「リスク管理は管理職の仕事」です。妊娠による休職・産休育休取得による人員減は、発生しうる内容と可能性・スケジュールが予測でき、ダメージは大きくて人1人分のみ、管理しやすいリスクだと思います。

 

これに対応できなかったら管理職として無能って思ったほうがいいレベル。自分の無能さを、妊婦に当て付けてマタハラするとか愚の骨頂すぎるなと思いました。

 

引継ぎ間際になって、後任のアサインが結局できていない、もしくは、後任なしで仕事を回す方法の設計をしていない(そこまで本人に任せるのならそれを指示指導してない)という事例や、パパ育休の件も同じくです。

 

このあたり、生殖、性の役割分担みたいなものが絡むからか、主義主張がいろいろ出てきますが、なんだかなーと思います。(シンプルに何でこうなるのかが分からない。)もうちょっとかみ砕いていきたいです。

 

これだけ働ける若い人が少ない社会の中で、子供産むんだったら、あんたの居場所なくなるからね!という姿勢のメリットがわかりません。

経験がある、教育コストも小さい人が、時間的制限があっても、ある程度時期を想定して戻ってきてくれるメリットって相当だと思うんですが、、、

 

結局私の場合、そのあと上司が休職し交代。

妊娠してることは25週10月後半まで周りの人には言わず、バレないようにして仕事と両立する日々となりました。

 

 

◆予定日決定

10週(6月27日)にCTLが23.4mm、予定日が2021年1月28日に決まりました。まだクリオネっぽさはあるものの、ここが頭で足で、と説明されるとなんとなくわかる状態。臍の緒も見えました。

 

この頃体調面で意識していたことは水を飲むこと。仕事をしながら水を飲むのを忘れることがもともと多かったのですが、妊娠中だとそれが体調不良につながることが多く意識して1.5l飲んでいたところ、ホルモンの影響もあってか肌の調子が絶好調へ。

 

またこの頃から早起きしてしまうということが頻発するようになりました。もともと寝坊が好き。とにかくつわりの間は眠いことばかりだったのですが、5時頃に目がなぜか覚めるということが続くようになりました。

 

仕事は忙しいけどすくすく大きくなる我が子に勇気づけられる日々でした。